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世代間で引き裂かれた中国の苦しみ、いまSFが描くもの:『荒潮』陳楸帆が語る、フィクションが現代社会で果たす役割|WIRED.jp - WIRED.jp

『三体』著者の劉慈欣に「近未来SF小説の頂点」と言わしめた陳楸帆(チェン・チウファン)による長篇小説『荒潮』が日本に上陸した。本作では電子ゴミが世界中から集まる島が舞台となり、行き過ぎたグローバル資本主義とごみの問題、地球環境のこれからが描かれる。かねて翻訳版を心待ちにしていた『WIRED』編集部は、上海に暮らす陳にメールインタヴューを実施。現代社会におけるSFの役割から、移行期の中国を描くという彼のスタンスまで、その創作の全貌をひも解いていく。

陳楸帆|CHEN QUIFAN
1981年、中華人民共和国広東省生まれ。数々の雑誌に短篇を発表後、2013年に『荒潮』で長篇デヴュー。グーグルやバイドゥ(百度)に勤務経験をもつ。中国の若手SF作家を代表するひとりであり、積極的に国内外のSFの発信に努めている。

劉慈欣による『三体』がアジアの作品として初めてヒューゴー賞を受賞し、日本でもSF小説としては異例の売り上げを記録するなど、中国SFが世界的に存在感を高めているのはSF作品を好むファンであればよく知る事実だ。こうしたなか陳楸帆(チェン・チウファン)による『荒潮』の日本語翻訳版が、2020年1月に刊行された。

著者の陳は16歳から作品を発表するかたわら、北京大学を経てグーグル、バイドゥ(百度)という巨大テック企業での勤務経験をもつ稀有なキャリアのもち主だ。「80後(パーリンホウ)」と呼ばれる80年代生まれの若い世代のなかでも代表的な作家として知られる。

そんな彼の初長編作品である『荒潮』は、世界各国から輸入された電子廃棄物を再利用することで利益を生み出す電子廃棄物リサイクル産業の世界的な中心地「シリコン島」に暮らし、過酷な労働環境のなかで搾取される「ゴミ人」と呼ばれる登場人物たちが描かれる。

SFのセンス・オブ・ワンダーを散りばめつつも、中国南東に実際に存在する広東省・貴嶼をモチーフに、「世界最大のごみ捨て場」と呼ばれた中国の社会問題とそこに加担する海外諸国の不条理を深くえぐる本作は、“中国SF界の至宝”である劉慈欣に「近未来SF小説の頂点」と言わしめる。

陳は今回のインタヴューで、「SFこそが人々に現実を認知させられる、最も強力な“認知のフレームワーク”である」と語った。テクノロジーが社会の下敷きとなり真実と虚構が曖昧になった不確実な社会において、彼の言葉は中国のSF作品が日本のみならず欧米を席巻する現象にある種の説得力を与える。

テクノロジーに対する倫理的な価値観が作品にも求められるようになったいま、現代中国のSF的想像力はフィクションのなかにどのようにセンス・オブ・ワンダーを組み込み、希望を語るのか。

テック企業での仕事は、SFを書くことと似ている

──巨大テック企業でのキャリアを経てSF作家となったあなたの経歴は驚きもありつつ、だからこそ『荒潮』のような作品を書かせたのだと、どこか納得もしてしまいます。

もともと科学やテクノロジーを愛していましたからね。高校生のときは物理学が大好きでした。

──16歳のころから短編作品を出版し、進学した北京大学では中国文学とフィルムアートを専攻していますよね。

アーサー・C・クラークやハーバート・ジョージ・ウェルズ、ジュール・ヴェルヌらに影響を受けた子どもでもありました。SFの物語は常にわたしの人生にオルタナティヴな想像力を与えてくれたんです。

──陳さんは広東省汕頭市出身ですよね。北京という都市はあなたにとって、生まれ育った故郷に対するオルタナティヴでもあったんでしょうか。

そうですね。汕頭市は人口300万人くらいの小さな都市なのですが、みんな同じ生き方をしているように感じていました。北京へ行ったのは、決まりきったルーティンから逃げ出したかったからなんです。大学ではほかの人々と同じく、現実に直面することばかりでしたが。

その後に就職したグーグルや百度のような企業で働くことは、まるでサイバーパンクの世界に住んでいるかのようでしたよ。

──そのころも小説は書いていたんですか。

空いた時間で、オフィスの会議室などでね(笑)

──会議室ですか!

エンジニア、セールス、クライアントやユーザーとコミュニケーションをとって観察していたんですが、わたしにとってはこれ自体がSFを書いているようでした。わたしはアカウントマネージャー、プロダクトマーケター、戦略ディレクターとして主にプロダクトチームやエンドユーザー、クライアントの認識の齟齬をなくすための役割を果たしていたんですが、ひとにテクノロジーを理解してもらう、また自分で理解するためにストーリーを描くという点で作品をつくり出すことと非常に似ているんですよ。そういう意味で、テック企業で働いた経験は自分の創作を大きく助けてくれていると思います。

──『荒潮』の創作の着想はどこからきたんでしょうか。

2011年、故郷に住んでいる友人と話していたときに着想を得ました。当時、彼は電子廃棄物のリサイクル事業に携わっていて、その産業の世界的な中心地である貴嶼、通称「シリコン島」という街について教えてくれたんです。さらに、その街が故郷から60km程度しか離れていないということもね。わたしはフィールドワークを重ねて貴嶼の労働者や生活者が悲惨な生活環境にあることを知って衝撃を受け、ある意味で現代の中国を象徴していると感じたんです。

引き裂かれた中国の苦しみ、SFが描くもの

──あなたが以前に執筆したコラム「引き裂かれた世代:移行期の文化における中国SF」では、『荒潮』で描いたのは中国の移行期の苦しみだとありました。いま中国で起きている「移行」とはどのようなものでしょうか。

中国の「移行」とは、さまざまなレヴェルでの多義的な意味合いをもちます。ここ数十年で加速度的な成長を遂げている中国社会の勢いは凄まじいものです。わたしたちはテクノロジー、カルチャー、経済、社会構造や倫理など、さらなる変化をこれから目の当たりにするでしょう。

経済においては、過去数十年続いたGDPの急速な成長が鈍化し、それが普通となっていきます。テクノロジーにおいては、模倣と工場生産モデルを脱却しイノヴェイションモデルにシフトしようとしています。出生率も低下の兆しを見せ始め、結婚や育児への意欲は徐々に低下していくと考えられています。

この転換は、過度な消費社会(使い捨て文化)や経済の格差・不均衡の肥大化、技術の進歩などがもたらすモラル・倫理の問題が絶え間なく表出していることと間違いなくつながっています。そうした憂いが『荒潮』の物語を書かせたんです。

──北京という巨大な都市で長く暮らすなかで、文化という点ではどのような「移行」が起きていると感じますか。

中国全体で誰もがそうかというと話は違ってきますが、わたしは都市部で生まれ育ち多くの時間を過ごしましたから、都市は自分の性格や物語を形成してくれた場所だと思います。そこで感じるのは、1990年以前に生まれた世代と以降の世代がまったく異なる価値観をもつことです。

中国の都市化はこの40年に集約されるとわたしは考えていますが、すべてがコラージュやモンタージュのようなつぎはぎのもの。わたしも小さいころから、現実と自分が感じてきた空間・時間とのあいだに、亀裂やズレのような不同期性を感じてきました。

出会ってきた人々についてしか話せませんが、(自身を含め)1980年代生まれの世代は飢えや貧困、戦争、政治闘争の時代を知りませんから、物質的に豊かな生活を享受し、高い水準の教育を受けているので親世代よりもインディペンデントであるといえます。しかし同時に、彼/彼女らは両親からの影響を受けており、社会や親の期待というプレッシャーのなかで生きている。わたしたちは他者に競争で勝つことによって自身を証明するほかなく、過度に競争的でした。

経済的な成功者になれるか大きな不安を抱え、高い水準の教育は受けているけれども、本質的な思考や想像力に欠けている。そもそも教育システムのなかに、その力を育むカリキュラムが組み込まれていないからです。彼/彼女らのライフスタイルはモダンであるとは言えますが、魂や精神がモダンであるとは言えない気がします。

──それは個人的にも非常に実感するところです。ミレニアル世代の初期に位置付けられる世代は、価値観の棚卸しがかつてないくらい急速に行われるなかで、古い価値観をアップデートし既存の枠組みからあがいて抜け出し、社会の新しい倫理を見つめられる。しかし、旧態依然とした発想に本能的に縛られ、価値観の中間層にいると感じることも多くあります。そこから自由になっているのが、ぼくらよりも若い世代だとも。

中国においても、1990年以降またデジタルネイティヴ世代の彼/彼女らは非常に自立していると感じます。飢えや政治闘争、戦争というトラウマに縛られていないので、人生に重きを置くのは「自己実現」になります。この価値観が中国において多くのサブカルチャーシーンを生み出していますが、オンラインで共存していくことで、未来の中国文化の風景をかたちづくる大きな力になると信じています。

──その前後で、これまでSFが描いてきたもの変化は感じますか。

1950年から80年代、中国は科学技術の素晴らしさを一般層に向けて強く打ち出すために、ソ連のSF作品のコンセプトを借りていました。しかし、それはSFというジャンルへの間違った理解を生み出してしまった。批評家はSFを文学というよりも児童文学、または大衆向けのジャンルとして扱い、科学者たちは迷信じみた疑似科学を描いたものがSFだと考えていました。それがSFの文化を減退させ、アンダーグラウンドなカルチャーにしてしまったのです。

しかし現在では、文学性や美学、世界観や本質性、問題に直面した際の人間のありかた、ひとへの洞察や理解をかたちづくる物語の力がより注目されるようになりました。これは非常に大きな変化だと思っています。

「ものを書く」という対話の行為

──『荒潮』では非常にミクロなモチーフを用いてリアリティを生み出していますよね。一方で、『中国ガイドブック』や孫子の兵法や警句などをたびたび引用し、ある種ステレオタイプな中国の作法や精神性も描いています。中国のような大規模で多様な文化・階級・イデオロギーが存在し、かつそれぞれが劇的に変化する流動性をもつ国について、一般化したモチーフを多用することには、どのような意図があったのでしょうか。

これはすべて、西洋が中国に対してもつステレオタイプを茶化すために用いています。皮肉ですが、西洋の人々は、中国の複雑さを一意的に捉えて単純化しがちで、自分たちの思い込みに無理やり当てはめ、ときに偏見を生み出します。

わたしが言っておきたいのは、彼/彼女らは中国に対して完全に間違った読み取り方をしているということ。年齢も、住む地域も、職業も異なる10人の中国人に会えば、全員が異なる中国のあり方を示すでしょう。ですから、わたしは異なるキャラクター設定や方言を使ってもっと中国の多様性をもち込みたいですね。

──韓国フェミニズム文学の日韓での人気や『ROMA/ローマ』『アス』『パラサイト 半地下の家族』『家族を想うとき』『万引き家族』といった映像作品なども、本来なら当事者性をもちにくい、固有の文化や精神性を映し出すミクロなモチーフや社会問題を扱った物語が、同時多発的に生み出され国境を超えて評価を得ています。ここに、国際社会のどのような状況が表象されていると感じますか。

『ジョーカー』をお忘れなく! これらの作品が国境や文化、言語の壁を越えて引き起こしている現象は、民主主義のシステムが壮大な失敗に終わり、その代案すらないこと、現在の資本主義が抱える根本的なジレンマを映し出しているように思います。テロリズム、社会的秩序・倫理の崩壊、戦争、疫病、環境破壊など、世界がろくでもないほうに向かっていることを誰もが知っていますから。

──フィクションを上回る悲惨な現実が可視化されるいま、文学に限らず作家のメッセージがストレートに映し出される作品が世界的に増えているという話もあります。

世界の暗鬱たる状況に対して抱えるわたしたちの不安が、かつてないほどにより濃く浮かび上がり、リアリティを伴う作品の物語へと投影されているのだと思います。

人類が崖っぷちに立たされてるいま、実際に傷を癒やす解決策を見出すまでの、物語という一種の希望とも言うべき気休めが必要になっている。いまの世界の状況を見ると、わたしのそうした考えはより的を射ているように思います。

──作品が倫理性やテーマ、書き手の社会的メッセージを帯びることは非常に大切なことだと思う一方で、作品が社会的メッセージと過度に接続されることも多く、メッセージの器でしかなくなるのはある意味、貧しくもあるように思ってしまいます。

重要なのは、実際に触れ、感じたことが起点となっていることで、そうした作品は結果的に現実の問題、純粋な想像力のどちらが色濃く描かれたとしても素晴らしいものだとわたしは思います。

作家であるための重要な要素のひとつに、日常のなかで違和感をいかに感じ取れるかの「敏感さ」があります。その「敏感さ」というのは、自分の身体で感じられるものからこそ得られるのです。

──『パラサイト』の監督ポン・ジュノは、傑作の出発点はわたしたちの身体、手先から感じられるものにある。大きなメッセージよりも、人の小さな営みから得るインスピレーションが前提にあることが重要だと語っていました。そのために、作家は自分の状態を敏感に保たなければならないと。

書き手はストーリーをつづるために、自身にしかないものの見方と声を探さなければなりません。万華鏡のように価値観や生活がこれだけ目まぐるしく変わり、この敏感さを保つのが難しい現代の中国では特に重要です。

──テック企業でエンジニアや起業家、科学者、一般の人々と対話し、観察していたのも、貴嶼でフィールドワークを重ねた経験の積み重ねということですよね。

そうですね。異なる人々と関係を築き、そのつながりと旅を通して絶えず異なる人生や生活を経験し、ものの見方を理解する。そのために対話をし続けなければならないと思っています。わたしにとって、ものを書く行為は対話のうちのひとつなのです。

SFは、現実を認知するための強力なフレームワーク

──現実世界において科学やデジタルテクノロジーの幻想は解け、技術的要件も整いつつあるなかで、SFがセンス・オブ・ワンダーを生み出すことが難しくなっているのではないかと思います。また、本作の登場人物である開宗が「すべての歴史は現代史である」と引用しているように、現代では「真実」そのものが曖昧になり、「物語」は人々の感情に強力に作用して「真実」を上書きする暴力性すらもちえます。これまでSFというジャンルは、リアリティと作品がもつセンス・オブ・ワンダーの双方を組み込んできたと思いますが、陳さんはその暴力性を乗り越えて、SFのなかでどのようにワンダーとメッセージを両立させていくのでしょうか。

科学というのは、新たな宗教のようなものになったと思います。わたしたちのほとんどが享受する科学技術の裏にどのようなプロセスがあるかを知らないがゆえに、盲信してしまいます。テクノロジーというのは非常にブラックボックスなものであり、かつての宗教や魔法に近い。

アーサー・C・クラークは、「科学技術を受け入れる過程では多くの不合理が生じ、それがさらに科学を迷信めいたものしていく」とかつて言いましたが、わたしも同じことをいま感じています。ときに現実が想像を凌駕することもありますが、現代ではテクノロジーが個々の日常に深く組み込まれ、それがもたらす幻影がわれわれの自然なつながり(現実)にとってかわろうとしています。

──使う前はまさに魔法のように感じたテクノロジーが、身近で生活に近くなるほどにより魔法的なものになるというのは、とても皮肉な話だなと思います。

こうした中国の現状は、哲学者ボードリヤールの言う、現実と想像の双方が融解し何が虚構で何が現実なのか曖昧な「ハイパーリアリティ」と非常に重なります。

わたしは、高度に発達した技術が日常に溶け込んだ中国の現実と、文学的クオリティとワンダーを両立するために、「SF的リアリズム」というコンセプトを生み出しました。

身体を起点としたリアリティとメタファーを用いることで、この曖昧で複雑な現実世界を理解する一助となり、わたしたちを取り巻くハイパーリアリティに新たなニュアンスを与えてくれるのが、唯一SFなのだとわたしは信じています。

今日、サイエンス・フィクションこそが人々に現実を認知させることができる、もっとも強力な「認知のフレームワーク」なのです。

中国SFは黄金期なのか?

──陳さんは過去に「SFは次第に科学への幻想が解けてゆく過程の副産物」であるとも語っています。「SF的リアリズム」をはじめとした現在の中国SFの想像力は、まさに「Chinese Dream」に象徴される高度経済成長と併走する、科学技術への幻想[編註:陳は『マクロな幻想』と言及]が徐々に解ける過程での副産物のような気がします。そうしたなかで、中国SFの想像力が欧米や日本など国境を越えて評価されているのはある種の説得力がありますし、中国の文化にとってもひとつの希望の兆しなのではないでしょうか。

中国SFはいま黄金期を迎えていると言われていますが、これに関してわたしの答えは、イエスでもありノーでもあります。

中国はヒューゴー賞受賞作家を輩出し、北京のようなメガシティでは映画化に適した良作SFを掘り起こそうとする動きが活発です。国内のみならず、グローバルマーケットにもリーチできる可能性を秘めているので、政府もSFが輸出文化として価値があると考えています。国家の政治や経済がある程度成熟すると、次は文化の輸出を考えますから、SFは政治的にも、経済的にも、文化的にも中国にとって大きな役割を果たすでしょう。

かつて中国は輸出する文化がほとんどなく、文化貿易において大赤字であったことは誰もが知っていますから、これは中国にとっては千載一遇のチャンスといえます。英語版の翻訳を手がけてくれたケン・リュウは、そんな中国にとって中心的な役割を担っています。彼のような英語・中国語双方でネイティヴレベルの語学力をもち、SFの知見と好奇心、情熱をもち合わせている翻訳者がいることは本当に幸運なことです。

ただ、中国には優れた書き手が欧米ほどいるわけではありません。読者もSF作品に目が肥えているわけではありませんし、楽しみ方の幅も狭い。映画産業においても、劉慈欣原作の『流転の地球』のような超大作があったとはいえ、SF映画の制作プロダクションが追いついていません。資本が産業を加速はさせるでしょうが、そうしたものはえてしてムーヴメントがもつ情熱を削いでいくものです。SFにおいてわたしたちはまだまだ若く、長い道のりが待っているでしょう。

──倫理的な側面はどうでしょうか。「通信速度」が世界を支配する中央集権的な格差の大きなモチーフとなっている本作では、EUの個人データの私物化という描写があります。しかし現実ではかつてデジタルフロンティアを切り拓いたフェイスブックのケンブリッジアナリティカ事件や、EUでのGDPR施行など、本作で描写されたストーリーとはいい意味で異なる風景もあります。

『荒潮』が出版されて7年、世界一の人口を抱える国家、また経済主体である中国が、経済モデル、テクノロジー、環境、文化とさまざまな側面からサステナビリティの重要性に気づき始めたと感じています。これは非常に大きな変化のひとつではありますね。

──中国は2017年にプラスティックゴミの輸入禁止措置を行い、18年にはそれに追随するようにバーゼル条約において規制が強化されました。

そうですね。中国政府は19年、科学技術の急速な発展がもたらす課題や潜在的なリスクを議論し、回避するために国立科学技術倫理委員会を設立しました。科学技術における「倫理」というものがすでに政府のロードマップのなかに組み込まれているんです。

また、民間セクターでも確実に動きが見られます。テンセントやアリババのようなテックジャイアントは「Tech for good」「Tech for change」などを標榜するCSRプロジェクトを立ち上げ始め、企業の社会的価値をプロモートし始めました。若い世代はプラスティック袋の削減だけでなく、野性保護動物の貿易や食べることをやめ、エネルギー消費量を減らすライフスタイルを目指すなど環境活動に参加し始めています。

若い世代が中心となって人間と技術の関係を根本的に考え直すことを促すNGOも存在します。わたしも若く才能ある科学者やアーティスト、ソーシャルアクティヴィストをつなげ、社会課題を解決し、マス層に価値を発信するための「科学技術ルネッサンス」というNGOを立ち上げました。これらはすべて非常にポジティヴな変化だと思います。

ただ、依然として取り組むべき問題は山のように横たわっているわけですから、多大な時間と努力、社会成熟への貢献が必要です。もちろん、変化は一晩では起きませんからね。

「愛」はわたしたちをつなぐ究極の装置

──あなたは過去に、あらゆるものが引き裂かれ分断された社会という経験が『荒潮』を書かせ、SFはかすかな可能性をこじ開けられると信じていると語っています。「中国の未来が絶望と憂鬱に満ちているとは思わない」とも。あなたが現在の中国社会に思う「希望」について教えてください。

わたしは中国の若者を信じているし、彼/彼女らが未来であり希望そのものです。

現実が決して『荒潮』のような世界に向かわないこと、若い世代が環境問題に気づき、ライフスタイルの変化からわたしたちの星を守る行動を起こすことを願っていますが、それは時間の問題であり確実に訪れると思っています。

多くの若い世代の方々と密に関係を築いていくなかで、社会背景、メディアのかたち、想像力のありかた、美学、センス・オブ・ワンダーが時代によってどれだけ変容しようとも変わることのない、彼/彼女らのSFへの愛の深さを知っているからです。

──SF的リアリティという「認知のフレームワーク」とSFの想像力は、あなたにとって、中国社会にとって愛を生み出す道具ということでもあるんですね。

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』で述べたように、ナラティヴの力やストーリーテリングは、人々が織りなすコミュニティのなかで響き合い、個々の違いを乗り越えられる。ともすれば陳腐な表現にも聞こえるかもしれませんが、愛の力はわたしたちをつなぐ究極の装置なのです。

不確実性の高い時代に、SFはテクノロジーと人間、歴史と未来、個人と社会をつなぎ、心の豊かさに満ちた世界への扉をこじ開ける可能性をもっている、わたしはそう信じています。

『荒潮』
陳 楸帆・著、 中原 尚哉・訳〈早川書房〉
電子ごみまみれの中国南東部の島、シリコン島。ごみから資源を探し出す“ゴミ人”の米米の運命は、環境調査のため島に上陸したブランドルと開宗、そして島を仕切る御三家を巻きこんで大きく狂っていく。『三体』劉慈欣が激賞、中国SFの超新星が放つデビュー作!

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February 15, 2020 at 04:00PM
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