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「イノセンス」好評連載中、罪と救済を描く小林由香の必読3作品(杉江松恋) | 「読み物(本・小説)」 | 「特集(本・小説)」 - カドブン

 小林由香は罪と救済を描く作家だ。

 人間は完全な存在ではないため、罪を犯す。そのことから目を背けてはいけない。誰でも罪人になることはあるのだ。

 罪という刻印は消えない。それが現時点で小林が出した結論だと思う。では、刻印された者はどのような生き方が選べるのか。そこで救済という主題が浮上してくる。

 「カドブンノベル6月号」に一挙掲載された「イノセンス」は、小林の第四作に当たる。主人公の音海星吾は大学生、その彼が自宅の窓に貼り紙された禍々しいメッセージを読む場面から物語は始まる。ヒトゴロシハシネシネシネと執拗に連ねられた真紅の文字は、明らかに星吾の過去を知る者が断罪のために記したものだった。

 かつて星吾は、氷室慶一郎という青年が殺された事件に関係したことがある。道で恐喝の常習者に絡まれていたところを、見も知らぬ氷室が助けてくれた。彼はそのために刺されて出血多量で死んでしまう。だが怯えた星吾は現場から逃げ去り、警察に通報することさえしなかったのだ。そのことがインターネット掲示板などで知れ渡り、星吾は叩かれる立場となった。14歳にして絶望を知る。家族もまた巻き添えにされる。なんとか大学には入った星吾だったが、自分に明るい未来など許されないのだと理解していた。

 小林のデビュー作は2011年に第33回小説推理新人賞を授与された短篇「ジャッジメント」だ。同作を表題とした連作短篇集が2016年に刊行され、これが初の著書となった。最初の1篇が発表されてから完結まで5年を要した苦心の作品だが、巻頭の「サイレン」が第69回日本推理作家協会賞短編部門の候補作に選ばれるなど、一定の評価を得ている。

 連作『ジャッジメント』は「復讐法」という新しい法律が制定された近未来の物語である。犯罪者から受けた被害内容を、当人かそれに準ずる者が同じ形で相手に返せるという「目には目を」方式の刑罰が認められるようになったのだ。語り手の〈私〉こと応報監察官、鳥谷文乃は、刑の執行を見届ける役割を担っている。力の行使には反作用が伴う。復讐法を選んだ者たちも決して無傷で済むわけではないということを、鳥谷は熟知しているのである。たとえば「サイレン」で、自分の息子を監禁し、無惨なやり方でいじめ殺した堀池剣也に罰を与える天野義明は、幾日もかけて刑を進めるうちに、耐え難い苦悩を抱え込んでいくように見えた。

 一口で言えば被害者の物語である。罪によって負った傷はどのようにすれば癒えるのか。相手を処罰すれば本当に痛みは消えるのか。5つの事例を見届けながら鳥谷は、出ることのない答えを求めて自分自身も懐疑の海を漂うようになる。

 デビュー作ゆえ、後の作品に比べれば物語の進め方も直線的ではあるが、それでも『ジャッジメント』にはこの作者ならではの二つの個性がはっきりと現れている。

 一つめは、書くべき主題を追求する態度だ。冒頭に掲げた罪と救済について掘り下げる姿勢が、すでにこの作品では明らかである。本来の職分を離れても真摯に被害者たちに向き合おうとする鳥谷文乃は、突き詰めて考えることを止められない作者自身だ。まず主題があり、それを問うためにどのようなプロット、登場人物が必要になるかという順で小林は小説を組み立てているのではないか。『ジャッジメント』の「復讐法」という設定も、奇をてらったわけではなく、被害者と加害者を対面させる場について考えた結果として、発想されたものだと思われる。

 第二の個性とは、各篇で動機の問題が掘り下げられていることである。第二章「ボーダー」では、祖母を殺害した孫娘が裁かれる立場、彼女の母親が刑の執行者となる。祖母を殺害した動機を問う母に、14歳の少女は決して口を開こうとしない。その「なぜ」が判明したとき、事件はまったく変わって見えるようになるのだ。

 短篇でデビューを果たした小林が初めて発表した本格的な長篇が、第二作『罪人が祈るとき』である。『ジャッジメント』の主人公は事件の観察者だったが、この作品では被害者自身が視点人物を務めることになる。冒頭に置かれているのは、ある痛ましい事件に関する記述だ。いじめを受けていたSという中学生が、自らの首をカッターで切り裂くという形で死んだ。それは11月6日だったが、翌年の同日にSの母親も投身自殺を遂げる。さらにその翌年の同じ日付、少年のクラスメートだったYが廃墟のビルから身を投げたのである。11月6日の呪いというべき連鎖と、その後の文章で綴られる出来事がどのようにつながるのかということが、読者の関心を結ぶ最初の糸である。

 Sの死から数年後、高校生の時田祥平はひどいいじめにより、11月6日に自分も相手を告発して死のうと思うほどに追い詰められていた。その前に現れたピエロ姿の人物はペニーと名乗り、祥平をいたぶっていた少年たちを蹴散らしてくれた。さらに、祥平を苦しめる怪物の殺害計画を作ったら自分が実行してあげると提案してくる。名前からわかるとおりペニーのモデルはスティーヴン・キングのホラー『IT』に登場する魔人である。ペニーとは何者か、そもそも本当に存在するのかという謎が物語を牽引することになる。

『罪人が祈るとき』という題名ではあるが、本作もまた犯罪の被害者を巡る物語である。前作からさらに踏み込んでいるのは、非人間的な行為によって打ちのめされる者は、たとえ自らが罪を犯しても地獄から逃れたいと思うものだという残酷な事実が描かれている点だ。ペニーの提案にすがるしかない祥平が、本当の意味での選択を行うまでの小説にもなっている。物語の最初と最後では、祈りという言葉にこめられた思いが変わっていることにも注目したい。罪と救済とは本作では表裏一体である。真の救いとは自己の内奥を覗かなければ得られないということが、話の展開の中で示唆されていく。

 現時点で小林の代表作と言うべきは、第三作『救いの森』である。『ジャッジメント』と同じ連作形式だが書き下ろしで発表された作品だ。いじめや虐待から身を守るために義務教育期間の児童にはライフバンドと呼ばれる通報装置着用が義務付けられているという架空の設定がある点も第一作に通じる。主人公の長谷川創一は、新米の児童救命士である。ライフバンドで信号を発した児童を救うのが彼の任務だ。長谷川は無責任な言動をする変わり者・新堂敦士と組んで動くことになる。しかし新堂は、その外見とは裏腹に児童救命士としては有能な人物である。一本気だが未熟な長谷川を新堂はこう言って教え諭す。「ヒーローを目指すな。本気で悪に打ち勝とうと思うなら、相手よりも怜悧狡猾な最強の悪になるしかない」。

 これも「なぜ」の物語だ。たとえば第一章「語らない少年」で、SOSを発した小学四年生の須藤誠が、自分が救ってもらいたい理由を話すのを頑として拒むのはなぜか。あるいは第二章「ギトモサイア」で、8歳の東三条美月が自宅から遠く離れた公園まで一人でやってきたのはなぜか。重要なのは、児童には自分たちなりの論理があり、その考えに沿わない限り彼らを救うことは不可能だということだ。これは悪に勝つためには悪を知るしかないという新堂の教えとも通底した考えである。

 他者を知ることが主題と見ていいだろう。相手を知ることができるか。それもうわべだけではなく、心の中まで踏み込んで。相手のすべてを赦すことができるか。主題を追い求める作者は、それに枠組を準備した。物語の構造は大きな螺旋になっており、冒頭と同じ縦軸の地点まで戻ってきたところで結末を迎える。円弧を描く中で長谷川は大きく成長していくのである。それまでのすべてを回収する幕の下ろし方はミステリーのプロットとしてもよく練られており、作者の成長を感じさせる。

「イノセンス」は、これら3作を経て成長した小林が放つ最新作である。主人公の音海星吾は心ならずも罪を背負ってしまった人物であり、しかもそれは誰からも赦しを得られる性質のものではない。小説の最大の謎は、顔の見えない断罪者の正体だ。犯人捜しの物語として幾人かの候補者が浮かび上がってくる。ただ単にそれが誰かを言い当てればいいのではなく、動機は何かということがわからなければ、真の意味で謎を解いたことにはならない。真相がわかったとき読者は、星吾が抱えている罪の意識がどういうものであったかを理解することになるだろう。犯人の「なぜ」と星吾自身の「なぜ」、その2つを同時に探っていく物語なのである。

 誹謗中傷によって外傷を受けた星吾の心は、他者を激しく拒む。自殺未遂者に冷たい態度をとった星吾に激しい非難の眼差しを投げてきた黒川紗椰も、アルバイト仲間で唯一の友人に近い存在である吉田光輝も、等しく受け入れがたい他者なのだ。だがどの人間にも揺れ動く心がある。読者は星吾と視点を共有しながら、彼ら他者の心を探っていかなければならない。孤独の檻から自分を解き放つための、それが唯一の手段なのだ。

 イノセンス。無垢、無罪という意味の題名は、自らの過去に苦しめられる星吾にとっては最も遠いものである。だが彼とて悪意によって氷室慶一郎を死なせたわけではない。大小の違いこそあれ、誰もが星吾のように愚かな行為の責を負うべき存在なのだとしたら、罪無き者などありうるのだろうか。

 救済について考え続ける作家が出した解答を、ぜひ知ってもらいたい。



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May 27, 2020 at 10:01AM
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