9月1日は、マグニチュード7.9と推定される関東大震災が起きてからちょうど100年に当たる。この地震で首都圏は炎に包まれ、死者・行方不明者は約10万人に上った。
政府の専門家によれば、今後30年以内に首都直下型のマグニチュード7クラスの地震が発生する 確率は70%で、 経済的被害は95兆円に上ると推計される。
こうした迫り来る脅威に東京都は常に緊張感を持って臨んでいる。都は昨年、2040年までの自然災害対策として15兆円を投じる「 TOKYO強靱化プロジェクト」を発表。また、地震防災計画を定期的に改定しており、最近では 5月に人口動態の変化と、リモートワークの増加や混雑した避難所での感染症拡大を防ぐ必要性などパンデミック(世界的大流行)経験後の考慮事項を反映させるために更新を行った。
こうした努力を積み重ねても、東京都の備えに終わりというものはない。
東京都庁総務局総合防災部防災計画課長の濵中哲彦氏は「終わりはないと思っている。災害はどれも同じじゃない。どこが震源か、規模も違うし、気象条件も違う。イマジネーションが重要だと思う」と語った。
次の大震災に備える東京都の取り組みについて以下に一部をまとめた。
不燃化
1923年の大震災は火災による犠牲者が大半だった。地震発生が正午近くで、住民はちょうど昼食の準備をしていた。
東京都では近代的な中心部を取り囲むように、「木密地域」と呼ばれる老朽化した木造住宅が密集する地域が広がる。戦後の経済成長と人口拡大の中で、都市整備基盤が十分に整備されないまま市街化が進んだ。 東京都都市整備局によると、2020年時点でその面積は8600ヘクタール、東京23区の面積の約14%に及ぶ。
11年の東日本大震災発生を受け、東京都は老朽建築物の除却と建て替えへの助成と税金の減免措置を提供することで、そうした地域の不燃化の取り組みを 強化した。この計画には、延焼遮断帯として機能し、救急隊が出入りできる道路の確保に向けた用地取得も含まれている。
こうした戦略は重要だが、完遂には多くの資金と時間、そして地主や地元コミュニティーの理解が必要だ。対象となる地域の住民は、何十年にもわたりその場所に住んでいる高齢者が多く、移転に消極的であったり、経済的に移転できなかったりする場合がある。
東北大学災害科学国際研究所の村尾修教授は、不燃化のような被害軽減に向けた対策は必要だが、避難訓練などよりソフトな対策と並行して実施する必要があると指摘する。
ハード、ソフト両方の対策を進める必要性について、「最低でも命だけは助かるという備えが必要。津波が来たらどこに逃げるか、どのルートを使うか、普段から理解しないといけない」と語った。
耐震強化
1923年の大震災をきっかけに、市街地建築物法の 改正において、日本初の耐震基準が規定された。
それ以降、研究者や政策立案者がより耐震性の高い建物を作るために新しい技術や工学的手法を取り入れる中で、建築基準法はその後の地震に対応して見直されてきた。建築基準法は1981年に主要な改正が行われ、現在、日本は世界で最も厳しいクラスの建築規制を誇る。
東京都内の各自治体は耐震改修を希望する住宅所有者に費用の一部を助成する制度を設けている。学校や社会福祉施設、病院、その他の建造物に対しても、 耐震化助成制度が敷かれている。
木造住宅の基準も2000年に 見直され、建築士は耐震壁の数などを考慮することが求められるようになった。また、建物の基礎が敷地に適しているかを確認するため、地盤調査も義務づけられた。
東京都はTOKYO強靱化プロジェクトの一環として、耐震改修への支援を 広げ、1981年から2000年に建てられた2000年基準を満たさない木造住宅のうち、耐震性の低い約20万戸を対象とする予定だ。
緊急交通路
東京都には「緊急交通路:地震災害時、一般車両通行禁止」という文字とともに、 青いナマズのイラストが描かれた緊急交通路案内板がある。日本では古くから「大きなナマズが暴れるから地震が起こる」と信じられていた。
こうした道路は、自然災害時に救急隊などが使用する道路として法律で定められている。大地震などの災害時には、救急車や消防車の通行や物資の配送のために確保され、一般の車両は 通行禁止となる。
東京都はまた、緊急輸送道路の機能を維持するため、特定沿道建築物の所有者に耐震診断実施義務と耐震改修等実施努力義務を盛り込んだ条例を設け、沿道建築物の耐震性向上に 取り組んでいる。
高まる意識
東京都の濵中氏はインフラ整備と同様に「よりソフトな」対策も重要だと語る。都では、近隣組織が地域レベルで防災訓練を行ってきたが、住民の高齢化に伴い、そうした団体や活動への参加は減少傾向にある。
1960年に日本政府は、関東大震災が発生した日で、台風シーズンでもあることから風水害に意識を高める日として、9月1日を「 防災の日」と定めた。地方自治体や学校、企業などではこの日に合わせて防災訓練を行うのが一般的だ。
東京都は2015年、住民向けに黄色い防災ブック「 東京防災」を配布。そこには、さまざまな自然災害への対応方法、災害発生から最初の数日間の流れ、段ボール箱と新聞紙で簡易トイレを作る方法などあらゆることが載っている。関東大震災からの100年の節目となる今年、ガイドブックの改訂を検討していると濵中氏は説明した。
国や地方自治体、学校や企業の間でも、大震災から100年を契機に地震への備えに対する意識を高める動きが見られる。
関東大震災に関する歴史的なコンテンツを含む 特設サイトが、さまざまな団体によって運営されている。横浜の博物館では震災に関する特別展が開催され、「関東大震災100年 船と港から見た関東大震災」という企画展が開催されている。 東京ガスは、台風の接近時に地震が発生するようなシビアな状況を設定した 総合防災訓練を実施した。
東京都には 防災公園が数十カ所あり、どこにでもある公共スペースが太陽光発電システムや非常用貯水タンクを備えた避難場所に早変わりする。 東京臨海広域防災公園には 防災体験学習の施設があり、来場者は大地震発生から72時間を生き延びる方法を学ぶことができる。
緊急地震速報システム
18年に 北海道胆振東部地震、16年に熊本地震と、日本は首都圏以外の地域も地震の危険にさらされている
日本は世界に冠たる 緊急地震速報システムを開発。地震発生直後に、各地での強い揺れの到達時刻や震度、長周期地震動階級を予想し、可能な限り 迅速に知らせる。日本全国に地震計・震度計を設置し地震発生を素早く捉える観測態勢が敷かれている。
この仕組みは、地震波のうち先に伝わるP波を検知した段階でテレビなどの媒体を通じて警告を発して、一般に強い揺れによってより被害をもたらすS波が伝わってくる前に危険が迫っていることを知らせるものだ。
緊急地震速報システムは、日本が開発したユニークなツールとして政府は称賛する。
ただ、このシステムは完全に信頼できるものではない。20年には震源地を取り違えた 誤報で東京都と14県の住民を混乱させた。マグニチュード7.3の地震に備えるよう促すものだったが、実際には地震は来なかった。
原題: What Tokyo Learned From the 1923 Great Kanto Earthquake(抜粋)
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