【午 後】
17・46 西宮市・西宮震災記念碑公園 日が暮れ、風が一層冷たくなる。それでも一人また一人と、ほとんど途切れることなく慰霊の列が続く。29年前、中学3年で母を亡くした藤村太久さん(43)はそっと花を手向け、「おおらかで優しくて、『こんな人になりたい』と思わせてくれる母でした」と記憶をたどった。
17・46 東京・日比谷公園 4回目となった東京での「1・17のつどい」。神戸から分灯したキャンドルや竹灯籠で同じ「ともに」の文字をかたどり、約200人が黙とう。明石市で被災し、神戸の友人を亡くした会社員松本律子さん(59)は「発生から40年、50年たってもこの集いを続けてほしい」と涙を浮かべた。
17・46 長田区・若松公園 震災後生まれの学生ボランティアがろうそくをともし、鉄人広場に「ながた」の文字が浮かぶ。道行く人も足を止め、明かりを囲み黙とうした。神戸大2年の野々内日向さん(20)は「若者が積極的に行事に関わり、伝えていきたい」。
17・30 中央区・ラッセホール 兵庫県教職員組合主催の「追悼の夕べ」が始まる。震災翌年に生まれた鹿の子台小学校=北区=の井上恵太教諭(27)が講演し「私はあの日のにおいと音を知らない。学んで次世代に伝えていかなければ」と決意を込めた。
17・10 西宮市・関西学院大 亡くなった学生や教職員をしのぶ賛美歌とハンドベルが礼拝堂に響いた。1年の西沢達哉さん(19)は「能登半島地震で震災を身近に感じ、各地の災害の被災地に思いをはせた」。
14・46 三木市・市民団体「神戸・心絆(ここな)」事務所前 「承継」などの文字をかたどった竹灯籠約1300本に灯がともり、能登半島地震の鎮魂塔も設けられた。東日本大震災で被災した宮城県名取市の住民も加わり黙とう。名取市の閖上(ゆりあげ)中央町内会長の長沼俊幸さん(61)は「神戸をはじめ多くのつながりが力になった。能登の人たちにもその力が届いてほしいし、自分も思い続けていると伝えたい」。
13・54 尼崎市・立花北小学校 地域住民や消防団員らが避難所運営を想定した図上訓練を実施。ペット同伴の避難者や妊婦、外国人らをスムーズに受け入れるには-。「本当の地震ではこんなに簡単にはいかないだろう」。参加者の議論は熱を帯びた。
13・30 淡路市・防災あんしんセンター 29年前、震源地の北淡町(現淡路市)職員だった富永登志也さん(66)が淡路市職員に講義。倒壊家屋の生き埋めになった住民を消防団員が救ったことなどを振り返り、「発生当日の午後6時には兵庫県に『行方不明者ゼロ』と報告できた」「地域コミュニティーが何より大切だ」と訴えた。
13・00 長田区・ピフレホール 市民団体による集会で立命館大の安斎育郎名誉教授が、能登半島地震で一部が損壊した北陸電力志賀(しか)原発の危険性などについて講演、政府の原発政策を批判した。企画した団体のメンバーらは「地震の多い日本に原発はいらない」。
12・50 宝塚市・ゆずり葉緑地 澄んだ青空の下、宝塚西高校の生徒会役員13人が慰霊碑に白菊を手向けた。生徒会長の真田結衣奈さん=西宮市=はこの日が17歳の誕生日。「両親は西宮で被災し、父の実家は倒壊したと聞いた。私たちの世代も震災を語り継いでいく」と強いまなざしで語った。
12・00 中央区・神戸市役所前 市民有志約40人による震災復興施策の課題を訴える集い。借り上げ復興住宅で20年間の借り上げ期限が過ぎ、高齢者らが退去させられた問題を巡り「住まいを奪い、人間関係を断ち切ることは住人の命を縮めることにつながりかねない」と行政を批判した。
【午 前】
11・45 中央区・人と防災未来センター前 県など主催の追悼行事。「命の大切さを忘れない」「学んだことを伝えていく」。次世代を担う小中高生の計3人がそれぞれの言葉でメッセージを読み上げ、灘の浜小児童が「しあわせ運べるように」を合唱。献奏曲の「アベ・マリア」が厳かに響く中、献花の列が続いた。
10・30 長田区・神戸の壁跡の復興住宅 犠牲となった17人の名を刻んだ記念碑に住民らがカーネーションを献花。碑には震災の焼け野原の中で残り、淡路島に移された「神戸の壁」の一部が使われている。壁のそばで父浅吉さん=当時(84)、母としゑさん=同(80)=を亡くした古川賀子(のりこ)さん(76)は「能登半島地震で街が燃えているのを見て29年前の記憶がフラッシュバックした」とつぶやいた。
10・00 中央区・神戸市役所 市が防災アプリ「ひょうご防災ネット」の登録者に、地震発生を想定したシェイクアウト訓練の開始を通知。「姿勢を低く、頭を守り、動かない」という行動の意識付けを促した。
9・00 中央区・デュオこうべ 出勤途中の会社員らが行き交う中、ストリートピアノでピアニストの田中恵子さん(67)が「しあわせ運べるように」など4曲を演奏。自身は29年前、自宅が半壊した。「震災を知らない世代にもピアノで記憶をつなぎたい」
8・02 中央区・日銀神戸支店 職員14人が徒歩で出勤。ヘルメットをかぶり、真っ暗な店内でヘッドライトの明かりを頼りに業務を続ける訓練を始めた。かつて日銀全体の危機管理に携わった竜田博之支店長(55)は「年月がたつほど、かつての教訓を思い出す機会が大事になる」。
8・00 東灘区・コープこうべ生活文化センター 敷地内の鎮魂碑前で役職員約60人が黙とう。地震直後、センターは遺体の安置所となった。岩山利久組合長(61)は能登半島地震の被災地に思いをはせながら「今も人々が助け合い、困難に立ち向かっていることを忘れてはならない」と話し、来年で発生30年となる阪神・淡路大震災の教訓継承や防災・減災を誓った。
8・00 長田区・認定NPO法人「まち・コミュニケーション」事務所 29年前に日銀神戸支店長だった遠藤勝裕さん(78)が住民ら約20人を前に、当時の対応を振り返りながら講演。「能登半島地震は、少子高齢化と過疎化という日本の課題が集積した地域で起きた。阪神・淡路を経験したわれわれに何ができるか、考えないといけない」
6・00 長田区・日吉町ポケットパーク 慰霊の読経が響く。焼香の列には地元住民のほか、神戸大や関西学院大のボランティアグループ、新潟県中越地震や東日本大震災の被災者らも。炊き出しの豚汁とぜんざいが振る舞われ、配膳した片岡澄江さん(79)は「当時の寒さを思い出す」。
【5時46分】
西宮市・高木小学校 震災で命を落とした当時2~6年生の5人をしのぶ追悼集会。在校児童ら約250人が鎮魂の思いを込めて「復興の鐘」を鳴らし、「亡くなった子の分まで生きる」との誓いを胸に刻んだ。
中央区・東遊園地 市民らがともした灯籠の火が揺れる。白い息を吐きながら、しみじみと見つめる人たち。今は亡き人を思い出し、手を合わせる。地震が発生した時刻になる。電灯が消され、「1995 ともに 1・17」の文字が浮かび上がった。
芦屋市・精道小学校 制服を着た卒業生や住民らが姿を見せる。黙とうに合わせ、亡くなった児童の数と同じ8回の鐘の音が、しんと冷えた校庭に響く。「友だちを突然亡くす経験は、決して遠い世界の話ではない」。当時勤務していた元教員の永松博文さん(66)は今だからこそ、子どもたちに語るつもりだ。
淡路市・北淡震災記念公園 二つのたいまつが燃える会場で、約150人が静かに目を閉じ、手を合わせる。遺族らが浮かべた63個の竹灯籠の明かりが揺れる。星が輝く夜明け前の空に「しあわせ運べるように」の合唱が響いた。
中央区・神戸栄光教会 鐘の音があたりを包み、教会内にパイプオルガンの優しい音色がこだまする。佐藤成美牧師(62)の説教を約30人が聞き入り、祈りの時間が続く。
中央区・兵庫県庁 神戸市街地を一望する庁舎最上階の展望台で、斎藤元彦知事が県幹部6人と一緒に黙とう。「震災の経験と教訓を胸に、誰一人取り残さない社会の実現に取り組む」と訓示した。
中央区・ビーナスブリッジ 眼下に広がる神戸の街に向けて、松平晃さん(81)がトランペットを響かせる。能登半島地震の復興も願って選んだ曲は「どこかで春が」。澄んだ音色が、冷気を揺らす。
長田区・御蔵北公園 慰霊法要に約100人が集まった。僧侶らが御菅地区の犠牲者128人の名前を読み上げていく。能登半島地震の被災地でボランティア活動をしている会社員吉田信昭さん(49)は「阪神・淡路の経験を意識し、コミュニティーを復活する支援をしたい」と語った。
東灘区・魚崎わかばサロン 竹灯籠に灯がともる。地元で犠牲になった206人の名を刻んだ銘板の前で、約120人が黙とう。魚崎町1・17会の中田裕久副会長(75)は「日頃の備えの大切さを感じてもらう場にしたい」と話し、そっと目を閉じた。
【未 明】
5・36 長田区・カトリックたかとり教会 聖堂は静寂に包まれている。住民と信徒ら約40人がろうそくを手に入場。全国から集まった僧侶十数人も並び、宗派や国籍を超え、聖歌を静かに歌い上げた。神父の神田裕さん(65)は「能登半島は今、まさに29年前と同じ出来事に遭っている。苦しんでおられる方々にも、心を合わせて祈っていきたい」と呼びかけた。
5・35 兵庫区・川池公園 能登半島地震の義援金を集めるさい銭箱が置かれた。住民が一人、また一人と入れていく。中学生の娘と初めて訪れた清村亜耶さん(41)は「避難した校庭で毛布にくるまったこと、おにぎりがおいしくて泣いたこと、忘れない。娘に伝え、一緒に備えを考えたい」と力を込めた。
5・30 東灘区・本山第一小学校 真っ暗な校庭に、ろうそくの明かりがともり、やがて大きな輪になっていく。住民ら約200人がまぶたを閉じた。かつて同校の避難所に身を寄せた三枝大介さん(49)が語り始める。「29年前も同じように寒かったし、暗かった」。能登半島地震で浮き彫りになった課題は、あの日と重なる。
5・30 長田区・大国公園 40人以上が命を落とした野田北部地区。ろうそくや線香を手向けた住民たちが、揺れる火をじっと見つめながらあの朝に思いをはせる。長田区長楽町の自宅で被災した大坪継子さん(82)は「すぐに家を飛び出し、ドアが壊れて出られない1人暮らしのお年寄りを助けに行った。29年たっても当時の光景は忘れられない」。
5・20 長田区・若松鷹取公園 慰霊碑前に105本のろうそくが並ぶ。地区で亡くなった人数と同じ本数に、住民が灯をともし、静かに手を合わせる。傍らには、ろうそくでかたどられた「こえを」の文字も。旭若松連合会の城本直良会長(78)は「忘れたらあかん。私たちの声で次の世代へ伝えていかないと」。
5・10 灘区・琵琶町公園 静まりかえった住宅街。犠牲者61人の名が刻まれた慰霊碑前に献花台が整えられた。投光器が照らす。あの日、一帯は家々が崩れ落ち、月明かりだけの暗闇に土煙が舞っていた。自治会長の家門勝治さん(67)は「地域で助け合えた命も、助けられなかった命もあったことをいつまでも忘れない」としみじみ語る。
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